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広島地方裁判所 昭和58年(ワ)1266号 判決 1992年10月12日

原告

栁田泰作

右法定代理人親権者父兼原告

栁田政博

同母兼原告

栁田裕子

原告ら訴訟代理人弁護士

坂田博英

山田延廣

山下哲夫

原告ら訴訟復代理人弁護士

森川和彦

被告

植田秀嶺

被告

三原三郎

右両名訴訟代理人弁護士

秋山光明

新谷昭治

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  請求

一  被告らは、各自、原告栁田泰作に対し、金八八〇〇万円及びこれに対する昭和五一年二月一二日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、各自、原告栁田政博及び同栁田裕子に対し、それぞれ金五五〇万円及びこれに対する昭和五一年二月一二日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

第二  主張

一  請求の原因

1  当事者

原告栁田泰作(以下「原告泰作」という。)は、父である原告栁田政博(以下「原告政博」という。)と母である原告栁田裕子(以下「原告裕子」という。)の長男として、昭和五一年一一月一五日に、被告植田秀嶺(以下「被告植田」という。)が経営していた植田産婦人科医院(以下「植田医院」という。)において出生した。被告植田は、原告泰作出生当時、被告三原三郎(以下「被告三原」という。)を使用し、同医院おいて医療行為に従事させていた。

2  原告泰作の出産の経過

(一) 出産までの経過

原告裕子は、昭和五〇年八月一日、植田医院において初めて診察を受け、妊娠四箇月、出産予定日昭和五一年一月二六日と診察された。その後は格別の問題もなく経過していたが、同年一〇月三〇日に出血して流産の危険があったため、同日植田医院に入院した。入院後は、投薬等による保存的療法が行われるとともに洗浄・触診の診療が毎日行われた。昭和五〇年一一月四日、子宮頸管が2.5指開大し胎胞が形成され流産の危険性が高くなったため、同月五日に、被告三原によって子宮頸管を縫合するシロッカー手術が施行された。手術後の経過は順調で、同月一二日には抜糸が行われた。その間も、洗浄・触診の診療が行われた。原告裕子は、昭和五〇年一一月一五日午前七時三〇分ころ破水し、午後五時四九分に原告泰作を出産した。在胎三〇週、妊娠七箇月半、生下時体重一五四八グラム、身長四三センチメートルで出生した未熟児であった。

(二) 出産後の経過

原告泰作の出産直後の所見は、早産にしては予想外に元気で、泣き続け、体色もピンク、アプガー指数も一〇点(満点)で、全く異常はなかった。原告泰作は、出産直後から保育器に収容され、直ちに酸素の投与が開始された。酸素の投与は、一分間に0.5リットルの流量の一〇〇パーセントの酸素を保育器内に導入する方法で一二月一七日まで三三日間連続して行われた。そのうち、少なくとも出産直後から一二月二日までの間は、開口部を鼻腔内に設置したカテーテルを用いた酸素の投与が行われ、その間の酸素濃度は、鼻腔直前で四二パーセントないし八四パーセントであった。原告泰作は、出生直後から四八時間は出生後飢餓状態におかれ、一一月一七日からさ湯、ミルクなどが投与され、その投与量は徐々に増加され、体重も酸素投与を中止したころから順調に増加し、昭和五一年二月一二日に植田医院を退院した。

3  原告泰作の未熟児網膜症罹患

原告裕子は、原告泰作の視線と自分の視線が合わない感じがするため、原告泰作を退院させる際に、植田医院の婦長にその旨話したところ、眼科での受診を勧められた。また、保健婦にも相談したところ、同じく眼科での受診を勧められた。原告裕子がこれに従い昭和五一年二月一七日に戸田眼科医院で原告泰作を受診させた結果、原告泰作の両眼の周辺部に堤防状の組織増殖が認められ、かなり重篤な未熟児網膜症(以下、未熟児網膜症のことを「本症」という。)と診断された。同年二月二五日には、広島大学付属病院の眼科で診察を受け、そこでも、既に両眼とも壊死があり、その一部から発生した硝子体混濁が他の硝子体混濁と癒合し、眼の最重要部である黄班部までが牽引される病変を生じ、瘢痕期Ⅳ度に至っていて、光凝固法による治療も困難であるとの診断を受けた。そして、その後の精密検査により、右眼は、網膜襞を形成し、これに硝子体膜が癒合し、血管も取り込まれ黄斑部も牽引されていること、左眼は、黄斑部まで皺状となり、網膜剥離を生じて失明していることが判明した。現在、左眼は失明、右眼は矯正視力0.03で視野も狭くなっているという状態で、身体障害者等級一級の認定を受けている。

4  原告泰作が本症に罹患した原因

本症は、未熟児が、保育器内で、高濃度のあるいは長時間の酸素の投与を受けることによって発症するものである。原告泰作が本症に罹患したのも、植田医院における酸素の投与が原因である。

5  被告らの注意義務違反

(一) 母体管理義務違反

本症は、出生児の未熟性を前提に発症するものであるから、担当医師には、本症の発生の可能性を未然に消滅させるという観点から見ても、早産を防止するための適切な診療を行う注意義務がある。子宮頸管が開口し流産の危険がある場合、触診・洗浄は、子宮頸管に刺激を与え流産を誘発するおそれがあるため禁忌とされている医療行為である。ところが、被告らは、原告裕子には子宮頸管が開口し流産のおそれがあったにもかかわらず、同人に対し昭和五〇年一一月五日のシロッカー手術後も触診・洗浄の医療行為を継続し、これが原因で原告裕子は早産し、原告泰作が未熟児として出生した。

(二) 酸素管理義務違反

(1) 本症の主因は酸素の過剰投与である。したがって、未熟児に対する酸素の投与は、適応のある場合に限りしかも最少限に行うにとどめなければならない。より具体的にいえば、チアノーゼ・呼吸障害が認められる場合に限ること、できるだけ短期間で中止すること、投与する場合も酸素の量が過剰にならないように注意しつつ投与することが必要である。

(2) そして、右のことは、原告泰作出生当時、既に多く報告され、産婦人科医にとっても常識的事項となっていた。この点に関しては、昭和五〇年二月、日本小児科学会新生児委員会から同学会理事会に対し答申された「未熟(児)網膜症予防のための指針」で概略次のように述べられているという事実が、当時の状況を物語るものとして参考になろう。

「酸素療法に際する注意

低酸素症のある未熟児には救命的に酸素療法を行わなければならない。もし、酸素を投与しないときは脳の低酸素症のために、脳性麻痺などを遺すこともある。しかし、一方では酸素療法が未熟網膜症(注・本症のこと)を増悪することもあるので酸素療法を行う場合には次の各項に留意しなければならない。

(イ) 低出生体重児に酸素療法を行う場合は、低酸素症が明瞭に存在するときに限り、低酸素症の存在は中心性チアノーゼ無呼吸発作、および呼吸窮迫(多呼吸、呼吸性呻吟、陥没呼吸、チアノーゼ)などによって判定する。

(ロ) 酸素療法を行う場合は、一日数回の保育器内酸素濃度測定を行い必要以上の酸素供給を行わないように注意する。酸素流量を一時間一回点検しておけば、器内濃度は一日二回ぐらい測定しても十分である。但し、流量を変えた時は、その都度器内酸素濃度を測定する必要がある。

(ハ) 高濃度の酸素療法を必要とするとき、あるいは長期に亘る酸素療法が必要なときには、酸素療法実施期間中は、適宜Pa02(注・動脈血酸素分圧のこと)を測定して六〇〜八〇mmHg保つようにすることが望ましい。

(ニ) 酸素療法は出来るだけ短期間で中止することが望ましいが、七日以上投与しなければならない時は、Pa02の測定のほか、必ず眼底検査を行って網膜症の早期発見につとめるべきである。

(ホ) 無呼吸発作を繰り返す症例は、人口換気療法を併用する症例では、とくにPa02の測定と眼底検査が必要である。

(ヘ) 動脈血の採血場所は橈骨動脈、側頭動脈あるいは指動脈が好ましいが、股動脈血、臍動脈カシーターにより採取した下行大動脈血でもよい。動脈血化毛細管血は使用できない。

(ト) 網膜発達が未熟な時は、まれに成熟児でも網膜症の発生が見られるので高濃度酸素療法・長期酸素療法に際しては、低出生体重児と同じ注意が必要である。」

(3) ところが、被告らは、原告泰作にはチアノーゼ・呼吸障害が認められず、したがって酸素投与の必要性がなかったにもかかわらず、出生直後から昭和五〇年一二月一七日までの三三日間漫然と連続して保育器内に一〇〇パーセントの酸素を一分間に0.5リットルの流量で投与した。しかも、酸素の鼻腔カテーテルによる投与は危険であることは多く報告され産婦人科医にとっては常識的な事項であったにもかかわらず、少なくとも昭和五〇年一二月二日までの間は、カテーテルを用いて鼻腔内に酸素を投与した。

(三) 全身管理義務違反

仮に、原告泰作に酸素の投与を必要とするチアノーゼ・呼吸障害が生じたとしても、その原因は、被告らが、①低体重出生児に対する温水浴はかえって体温の低下を来すから避けるべきであり(低体温はチアノーゼ・呼吸障害の原因となる。)、そのことは知られていたことであったにもかかわらず、出生直後の原告泰作に沐浴をさせ、②さらには、原告泰作のように一五四八グラムで出生した場合は出生後二四時間から四八時間内に授乳を開始すべきであり(長時間の飢餓は、脱水、低血糖、代謝アレルギーを起こし、体力不足からチアノーゼ・呼吸障害が発生する。)、そのことも知られていたにもかかわらず、一一月一七日になるまで輸液も行わず栄養状態が不十分のまま放置するなど、全身管理に対する注意を怠ったことにある。

(四) 眼底検査義務違反

(1) 未熟児に対し酸素の投与を行えば、本症がかなりの頻度で発生する。このことは、原告泰作の出生当時、多くの研究報告で既に明らかにされていた。

しかし、同時にまた、眼底検査を定期的に行って本症の発生の有無及び進行状況を把握し、これに基づいて適正な全身管理、酸素管理を行うとともに、必要な場合には適時に光凝固法の治療をすることによって、本症は、失明などの後遺症を残さずに治癒する。そして、原告泰作出生当時、このこともまた、多くの報告によって既に明かとされ、酸素投与の行われた未熟児に対しては定期的に眼底検査を行うことが、なされるべき医療行為として確立していた。この点につき、厚生省特別研究費補助金による昭和四九年度研究班によって昭和五〇年三月に報告された「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」(以下「昭和四九年度研究班報告」という。)においては、次のように述べられている。

「検眼鏡的検査は、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三ケ月以降は、隔週または一ケ月に一回の頻度で六ケ月まで行う。発症を認めたら必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。瘢痕を残したものについては、殊に一〜三度のものは、晩期合併症を考慮しての長期にわたるフォローアップが必要である。」

(2) 右のとおりであるから、被告らは、原告泰作に酸素を投与するに当たっては、少なくとも出生後第三週以降においては、自らあるいは体験のある眼科医に依頼するなどして、定期的に眼底検査を施行し、発症を認めたら光凝固法等の治療を含む適切な措置を講ずべきであった。それにもかかわらず、被告らは、原告泰作に対し、出生直後から酸素の投与をしながら、一回の眼底検査も実施していない。

6  被告らの責任

(一) 債務不履行

原告政博及び原告裕子は、自ら当事者として、また原告泰作の法定代理人として、原告裕子が植田医院に入院するに当たり、被告植田との間で、産婦人科医療及び新生児の保育医療に関する医療契約を締結した。

被告植田及び履行補助者である被告三原の前記5の注意義務違反は医療契約上の債務不履行に該当するから、被告植田は原告らの後記損害を賠償する責任がある。

(二) 不法行為

被告らの前記5の注意義務違反は不法行為にも該当するから、被告植田は民法七〇九、七一五条一項、被告三原は民法七〇九条、七一九条により原告らの後記損害を賠償する責任がある。

7  損害

(一) 原告泰作の損害

(1) 逸失利益 六九六一万五九〇〇円

原告泰作は、本症により、左眼は失明し右眼の視力は0.03となり、労働能力を一〇〇パーセント喪失した。昭和五八年賃金センサスによる男子労働者学歴計の年間給与総額三六三万三四〇〇円に八歳のホフマン係数19.160を乗じて算出すると六九六一万五九〇〇円となる(一〇〇円未満切捨て。以下同じ。)。

(2) 後遺症慰謝料 一五〇〇万円

(3) 介護料 四三一六万九九〇〇円

一日の介護料を三五〇〇円とすると、現在までの五年間の介護料及び将来の介護料(一年間の介護料に八歳の平均余命六六年間に対応するホフマン係数28.7925を乗じて算出する。)の合計は四三一六万九九〇〇円となる。

なお、原告泰作は(1)ないし(3)の損害合計一億二七七八万五八〇〇円のうち八〇〇〇万円を請求する。

(4) 弁護士費用 八〇〇万円

(二) 原告政博、同裕子の損害

(1) 慰謝料 各原告五〇〇万円

原告政博、同裕子は、原告泰作の失明により親として筆舌に尽くし難い苦痛を受けた。

(2) 弁護士費用 各原告五〇万円

8  よって、原告らは、被告ら各自に対して、原告泰作につき八八〇〇万円、原告政博及び同裕子につきそれぞれ五五〇万円及び右各金員に対する昭和五一年二月一二日(原告泰作が植田医院を退院した日)から支払済みまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1(当事者)の事実は認める。

2  同2の(一)(出産までの経過)の事実は認める。

同2の(二)(出産後の経過)の事実のうち、出生直後の原告泰作に異常がなかったこと、原告泰作を出生直後から保育器内に収容し、一二月一七日までの間、一分間に0.5リットルの流量の一〇〇パーセントの酸素を投与したこと、一一月一七日からさ湯及びミルクの投与を開始したこと、及び原告泰作が二月一二日に退院したことは認め、その余は争う。

3  同3(原告泰作の本症罹患)の事実のうち、原告泰作が本症に罹患したことは認める。その余は知らない。

4  同4(原告泰作が本症に罹患した原因)は争う。

5  同5(被告らの注意義務違反)は争う。

6  同6(被告らの責任)のうち、原告泰作と被告植田との間で、新生児保育に関する診療契約が成立したことは認め、その余は争う。原告政博及び同裕子が原告泰作の法定代理人として診療契約を締結したにすぎない。

7  同7(損害)は争う。

三  被告の主張

1  酸素投与の適応と酸素管理

(一) 未熟児に対する酸素投与の必要性

(1) 未熟児

生下時体重二五〇〇グラム以下の新生児を未熟児または低出生体重児といい、一五〇〇グラム以下の新生児を極小未熟児という。いずれも正期産の成熟児に比べて通常具備すべき生理的機能が未熟なまま胎外生活を余儀なくされるため特別の養護を必要とする。なかでも在胎週数三二週未満の場合には一般に未熟性が強く医療上の配慮を必要とする。

未熟児は、全身の組織が未熟であって生命維持に不可欠な呼吸機能も不全であり、とりわけ肺胞拡張不全に伴う無呼吸発作、低酸素症又は無酸素症とその悪循環によって死への転帰を見るとか脳障害を惹起するとかの危険が多い。

(2) 酸素投与

未熟児に対しては、このように生理機能が未熟であることから、臨床的には呼吸障害の症状が認められなくても、一般に生後一定の期間酸素を投与し順調に肺胞が拡大するのを助けるのが好ましいとされている。そして、呼吸障害、チアノーゼの症状が認められたとき、あるいは分娩直後の仮死蘇生術のときには、右の場合以上に多量の酸素の投与を必要とする。未熟児に呼吸障害が生じているのに網膜症の発生を虞れて酸素の投与をしないまま放置すれば、呼吸不全から死への転帰を見るかもしくは脳性麻痺等重篤な後遺症を残すかすることになる。

未熟児の一般状態を良好に保ち、保育器内の環境酸素濃度を四〇パーセント以下にとどめて合併症を予防するのが一般的な酸素管理術式として認められていたが、酸素濃度を四〇パーセント以下に保った場合や全く酸素を投与しない場合にも本症の発症例があることが指摘されたため、未熟児に呼吸障害やチアノーゼが認められるとき、あるいは分娩直後の仮死蘇生術のときには、四〇パーセントを超える高濃度酸素を継続して投与する必要性があることが認められてきた。

そして、その場合の酸素の投与量、投与期間等は担当医の裁量によって決定される。

(二) 原告泰作に対し酸素投与を行ったいきさつ、酸素の投与方法・酸素の投与量

(1) 原告泰作は、昭和五〇年一一月一五日午後五時四九分に生下時体重一五四八グラム、身長四三センチメートル、頭囲28.5センチメートル、胸囲24.5センチメートルの未熟児として出生した。成熟児の標準値である生下時体重三二〇〇グラム、身長50.2センチメートル、頭囲33.5センチメートル、胸囲32.5センチメートルに比べると相当程度の較差があった。

(2) 被告植田は、原告泰作には出生時に呼吸障害もなく、生後一分間におけるアプガー・スコアも正常であったことから、直ちに沐浴に移った。ところが、原告泰作は沐浴中突然に呼吸障害を起こし、チアノーゼを呈した。被告植田は、直ちに人工呼吸を行うとともに、午後五時五五分に保育器に収容した。

(3) 被告植田は、保育器内に収容した原告泰作に対し、酸素管にネラトン六号のカテーテルを接続し、保育器内に仰臥している原告泰作の鼻孔前にカテーテルの先端を置いて、カテーテルの先端から二センチメートルくらい手前の穴から流出する酸素を吸入させる方法により一分間に0.5リットルの酸素流量で酸素投与を開始し、その後右方法で一時間三〇分の間酸素投与を継続した。

(4) 被告植田は、右酸素投与の結果原告泰作のチアノーゼが改善できたと判断し鼻孔前カテーテルによる酸素投与は中止し、その後は一分間に0.5リットルの酸素流量で保育器内全体に酸素がいきわたるような酸素投与を行った。このときの保育器内の酸素濃度は二六パーセント程度である。

(5) 原告泰作には出生以来三五度の低体温状態が続き、血液検査の結果は、昭和五〇年一二月一九日に血色素六五パーセント、ヘマトクリット二三パーセント、赤血球二六八万、白血球一万一〇〇〇、昭和五一年一月二二日に血色素六五パーセント、ヘマトクリット二八パーセント、赤血球二七九万、白血球一万三四〇〇、同年一月二九日に血色素五八パーセント、ヘマトクリット二七パーセント、赤血球二七七万、白血球一万〇七〇〇であり、いずれも成熟児の半数値であって、身体の最も重要な組織である血液像において相当程度未熟性を有していたことがわかる。

(6) また、原告泰作の体重は、昭和五〇年一一月一五日の生下時に一五四八グラム、一一月二九日の日齢一五日で一四六五グラム、一二月二日の日齢一八日で一四〇〇グラム、一二月五日の日齢二一日で一四一〇グラム、一二月八日の日齢二四日で一四二〇グラム、一二月一二日の日齢二八日で一五〇〇グラム、一二月一五日の日齢三一日で一五二五グラム、一二月一七日の日齢三三日で一五三九グラム、一二月一九日の日齢三五日で一五四七グラム、と推移し、生後三五日にしてやっと生下時体重に復した。この間、一一月一七日午後五時にさ湯二CCを与えた後、同日八時以降スポイドによるミルクの強制授乳を開始し、一一月二一日から一二月一九日までは鼻腔・胃カテーテルによる栄養投与を続けた。

右のとおり原告泰作の体重は生後日齢一八日(一二月二日)まで継続して減少し、以後増加していったものの微増であり、このことは、原告泰作の未熟性を示すとともに、一般状態が極めて悪くて回復が遅延したことを意味している。

(7) 原告泰作は、一一月一六日以降は呼吸障害はなく経過していたとはいうものの、右に述べたとおり依然一般状態が悪く、保育器から出すこともできず、沐浴もさせることができないままに、昭和五〇年一一月二三日に再び呼吸障害・チアノーゼの症状が現れた。そこで、一一月一五日と同様の方法で一分間0.5リットルの酸素を約一時間三〇分鼻孔前投与したところ症状の改善が見られたので、酸素投与は中止した。

一一月二六日にも、原告泰作にチアノーゼの症状が現れたので、右と同様の方法で一分間0.5リットルの酸素を約一時間鼻孔前投与した。

(8) 昭和五〇年一二月一七日に原告泰作の体重が一五三九グラムとなり状態がかなり良くなってきたと判断できたので、酸素を保育器内に投与するのを中止し、以後酸素投与は行っていない。

(9) 新生児カルテ<書証番号略>の一一月二三日の欄(三九頁)に「鼻腔カテーテル酸素濃度八四パーセント、鼻腔直前の濃度」との記載がある。また、同カルテの一一月二六日の欄には「酸素濃度室内二六パーセント、鼻腔四二パーセント」との記載がある。前記鼻孔前投与方法で酸素投与をした場合、カテーテルの先端約二センチメートル手前から流出する酸素は空気によって希釈され、流出する酸素が全部吸入されることはないから、右カルテの一一月二三日の欄に八四パーセントという記載が見られるからといって、原告泰作が酸素濃度八四パーセントの空気を吸入していたというわけではなく、一一月二六日の酸素濃度の測定値が原告泰作の吸入していた空気の現実の濃度と推測され、同様の方法で酸素投与を行った一一月二三日の酸素濃度も同程度であったということができる。

(三) 原告泰作に対する酸素投与の必要性と投与方法・量の適切さ

原告泰作に対する酸素投与は、出生後一分間のアプガースコアは正常であったものの、その後に呼吸障害・チアノーゼが発現してからは一般状態が改善されなかったため行ったものであり、鼻孔前酸素投与に限っていえば、呼吸障害・チアノーゼの発現を見たときのみ慎重に行ったものである。被告らは、決して、原告泰作が未熟児として出生したという事実だけで漫然と酸素投与をしたわけではない。

原告泰作に投与された酸素量は極めて少ない。保育器内環境濃度は一分間に0.5リットルの酸素の流入により二六パーセント程度であって、前述の一般的酸素管理術式として認められていた酸素濃度四〇パーセント以下の酸素濃度であり、三回にわたり行われた各一時間三〇分程度の鼻孔前酸素投与は、酸素濃度が四〇パーセントを超えていたとしても長期間継続して大量の酸素を投与したものではないから、酸素の過剰投与ということはできない。

2  本症の発生原因

(一) 酸素投与の制限により本症の発生が減少したことから、本症の発生に酸素が関係しているとの知見が一般化している。しかし、他方では、酸素を全く投与していない場合あるいは一日間しか投与していない場合でも本症が発症した症例もある。このため、本症の発症と酸素との関係を全く否定することはできないものの、本症は網膜の未熟性を主要因とする多因子性病因によるものと理解されている。

(二) 原告泰作の生下時体重は、一五四八グラムであり分類上は未熟児の体重であるが、極小未熟児の生下時体重一五〇〇グラム以下にほとんど等しい体重である。また、在胎三〇週は、未熟性が強いといわれている在胎三二週の範囲内にある。

原告泰作に対する酸素投与量は決して多くないにもかかわらず本症が発症したのには、前述のとおりの原告泰作の身体的・生理的機能の未熟性が大きな要因となっていることは否定できない。また、昭和五〇年一二月一七日に酸素の投与を全面的に中止してから戸田眼科医院で昭和五一年二月一七日に受診するまでの二箇月の間に本症に罹患し、広島大学医学部付属病院眼科で受診したときには既に瘢痕期に至っていたことから考えると、急激に本症の発症経過をたどったことが推測される。このことからも、原告泰作の本症発症の主要因が原告泰作の未熟性にあったと推測することができる。

3  本症の治療方法及び医療水準

(一) 医療(診断・治療)方法の選択については、医師に広範な裁量の領域がある。そして、右裁量の領域を決定する判断は、当該医療行為の行われた当時の医療水準に基づくものでなければならない。したがって、医療行為における過失の有無は医療行為当時の医療水準によって判断されることになる。ある治療法が医療水準に達しているというためには、その方法が種々の医学的実験を経た後医学界においてその合理性と安全性が一般的に承認されて確立し、かつ当該医療行為当時において平均的な臨床医によって実施されていることが必要である。すなわち、医療水準は臨床医学の実践の場において具体的可能性のあるものとして一般臨床医に普及・浸透していなければならない。

(二) 眼底検査義務

検査は治療のために必要である点において意義がある。したがって、未熟児に対する治療として酸素を投与した場合、眼底検査義務があるというためには、眼底検査の施行結果に基づいて行われるべき有効な治療方法があることが前提となる。しかし、昭和五〇年一一月当時、後述のとおり光凝固法、冷凍凝固法も本症に対する有効な治療法として確立されたものではなかったし、他にも有効な治療法として確立されたものはなかったのであるから、法的注意義務としての眼底検査義務があったということはできない。

もっとも、当時も現在も長期間多量に酸素を投与した場合眼底検査を施行することが多い。これは本症が児の未熟性に主要因があるとしながらも本症と酸素との因果関係が全く否定しきれないことと、昭和四三年に永田誠らにより光凝固法が本症の治療法としての可能性を示すものとして報告され、その後の追試によりその治療効果については否定的見解が根強く主張されながらも、他方で一部これを認容する見解が存在し、他に見るべき確立された治療法がないため何もしないよりはよいとの相対的な治療措置として認められているからにほかならない。したがって、眼底検査が施行されてきたことをもって法的義務としての眼底検査義務があるということはできない。

さらに、原告泰作は出生直後の沐浴中に呼吸障害を起こしてチアノーゼを呈し、以後昭和五一年一月一四日まで保育器に収容された。その後もたびたびチアノーゼを呈し沐浴できない日も続き、貧血、低体温で哺乳力も乏しく、感染症にも罹患していてとても眼底検査のため他の病院に通院させ得る状態ではなかった。そして、被告植田は、原告泰作が退院するに当たって、原告裕子に対し、原告泰作に小児科の総合的な診断・治療を受けさせるよう指示したうえ、広島大学医学部付属病院小児科の確井医師に対し原告泰作の診療を依頼した。これにより原告泰作は昭和五一年一月一六日には同医師の診察が受けられることになっていたが、原告裕子は原告泰作に同医師の診察を受けさせていない。被告らは、直接原告泰作の眼底検査を指示してはいないが、小児科総合診断の中で必要と考えられれば当然眼底検査が施行されたはずであり、被告植田は、少なくとも右のような機会を積極的に与え指導した。

(三) 光凝固法・冷凍凝固法

光凝固法は、前述のとおり昭和四三年に永田誠らによって本症の治療法として報告され、その後の追試によりこれを認める報告もなされた。しかし、光凝固法が有効であると報告されたのはほとんどが本症Ⅰ型に関する症例であり、光凝固法施行の有無にかかわらず自然治癒する可能性の高いものであった。そして、追試報告が増加するにつれ本症の臨床経過の多様性と自然寛解率が極めて高いことが判明し、自然寛解するか症状が進行するかの判定の問題に直面することになった。また、光凝固法が本症Ⅱ型に対してはほとんど効果がないことも判明した。このようなことから、光凝固法の適応基準や光凝固法による治療の要否の判定基準について問題を生じ、光凝固法自体過剰侵襲ではないか、光凝固法による瘢痕が眼球の発育に悪影響を及ぼすのではないか、光凝固法の施行が厳密な対照試験を経ていないため治療効果が正確に判定できないのではないか等の光凝固法に対する否定的な見解も出されているのが実情である。したがって、光凝固法が本症に対する治療法として確立された、とはとてもいえるものではない。

また、冷凍凝固法についても、凝固の範囲、大きさ、強さを正確に保って実現することができないとの指摘がなされており、これまた、光凝固法と同様、本症に対する治療法として確立されているとはいえるものではない。

(四) 昭和四九年度研究班報告について

(1) 昭和四九年度研究班報告は昭和五〇年八月に発表された。同報告には、本症につき、活動期の診断基準・臨床経過分類・瘢痕期の診断基準と程度分類、治療基準が示された。これによると、本症はⅠ型、Ⅱ型、混合型に分類され、Ⅰ型は比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向が強く、Ⅱ型は比較的速い経過で網膜剥離を起こし、自然治癒傾向のない予後不良型である。また、同報告においては、本症は主として極小低出生体重児(極小未熟児)に見られ、未熟性の強い眼に発症するものであり、右以外にⅠ、Ⅱ型の混合型もあるとされている。また、検眼鏡的検査及び光凝固の適期についての指針も示されている。

しかし、昭和四九年度研究班報告が示した診断基準は当時の一応のものであり、そこで示された治療基準も、本症の治療には未解決の問題点が残されており決定的な治療基準を示すことは困難であることを前提に提示されたものであった。

(2) 仮に、昭和四九年度研究班報告に示された基準が本症の診断基準及び治療基準となるにしても、それが一般の開業医である産婦人科医にとっても医療水準であるといえるためには、同報告の全文が、一般の産婦人科医が日常的に入手することができ、一般的に通常購読している資料、例えば産婦人科の団体機関紙である「日母医報」、「日本医師会雑誌」等に掲載され、広く周知し得る状態に至っていることが必要である。ところが、昭和四九年度研究班報告の内容を比較的詳しくもしくはその全文を掲載している雑誌は、すべて後年発行された眼科関係雑誌・小児科関係雑誌である。したがって、昭和五〇年、同五一年当時同報告に示された診断基準・治療基準が医療水準に至っていたということはできない。

被告らは、原告泰作出生当時、本症が高濃度酸素特に環境酸素濃度四〇パーセント以上の中に置かれ、あるいはそれ以上の酸素濃度で長期間酸素投与された場合に本症の発症の虞れがあり、そのような場合速やかに眼底検査をすべきであるという医学的知見があったことは知っていたが、昭和四九年度研究班報告を見たこともなく、そのような研究結果の発表のあったことも知らなかった。

4  因果関係

(一) 酸素投与と本症との因果関係

本症の原因については、一般的には、本症と酸素との関係も完全に否定されているというわけではないが、網膜の未熟性に主たる原因があるとする見解が支配的である。本症については、出生後の肺呼吸に伴う生理的酸素濃度の上昇や酸血症、低体温に代表される代謝環境が悪化因子として網膜障害を助長するとの医学的見解もある。

右状況の下で、原告泰作の前述の未熟性に、酸素投与量は前述のとおり極めて少なく、鼻孔前投与にしても前後三回、限られた時間のみであったことを加えて考えると、原告泰作の本症罹患は同原告の未熟性又は他の因子によるもので、被告らが投与した酸素との間に因果関係はないということができる。

(二) 眼底検査と本症との因果関係

仮に、未熟児に対し酸素を投与した場合には、眼底検査をすべき義務があるとしても、本症が激症型(Ⅱ型)であれば、これに対する的確な治療方法が確立されていないから、眼底検査を施行しなかったことと本症との間に因果関係があるということはできない。

原告泰作の罹患していた本症は激症型である可能性がある。すなわち、①激症型は、一般に、極小未熟児に多く見られ、未熟性の強い網膜に発症し、しかも、症状経過は速く網膜剥離を起こし自然治癒傾向がないこと、②本件では、原告泰作の生下時体重が一五四八グラムでありこれは極小未熟児の分類に近く、在胎週は未熟性が強い在胎三二週以下の範疇にある在胎三〇週であること、③酸素投与を全面的に中止した昭和五〇年一二月一七日から戸田眼科受診の昭和五一年二月一七日までの二箇月の間に本症瘢痕期に至っていたことからすると急激な発症経過をたどっていたということができること、④Ⅰ型ならば自然治癒傾向が強く網膜剥離まで進行することはまれであることに照らすと、原告泰作が罹患していたのは本症の激症型であったと推認する余地は大なのである。

5  消滅時効

原告泰作は、昭和五一年二月一七日に戸田眼科医院において重篤な未熟児網膜症と診断され、さらに昭和五二年二月二五日には広島大学付属病院において、既に両眼壊死、硝子体混濁、眼の最重要部である黄斑部まで牽引の病変がある、瘢痕期で光凝固の治療も困難、との診断を受けたというのであるから、原告政博及び同裕子は、原告泰作が回復困難な未熟児網膜症に罹患していたことを、当時既に認識していたことになる。

したがって、被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算日は、原告泰作が植田医院を退院した昭和五一年二月一二日又は原告泰作が戸田眼科で受診した同年二月一七日であり、同請求権は右起算日から民法七二四条所定の三年が経過した昭和五四年二月一二日又は同年二月一七日に時効により消滅した。

被告らは右時効を本訴において援用する。

四  消滅時効の主張に対する認否

争う。

原告政博及び同裕子は、昭和五一年二月に原告泰作が広島大学付属病院において調枝教授の診察を受けた際、同教授から原告泰作の視力は乳児であるため正確に測れないが余病などを併発しなければ0.5くらいはあるかもしれないといわれ、昭和五二年五月には心身障害者センターの森信医師から人間の眼は六歳までは発達成長するから視力が出るかもしれないといわれ、同様の内容が一般に市販されている医学書「みんなの眼科学」にも記載されているのを見た。このようなことから、原告政博及び同裕子は原告泰作の視力が回復することに望みをつないでいた。原告泰作は、昭和五二年六月には両眼失明を理由に身体障害者等級一級の認定を受けたが、六歳を過ぎた時点で、左眼の視力は〇であったものの右眼の視力は0.03まで見える状態になった。しかし、それ以上の視力の回復は見られず、このとき初めて原告泰作の視力が未熟児網膜症によってほとんど失われ回復の余地のないことを知った。

また、原告政博及び同裕子は、被告三原から原告泰作には規定量どおりの酸素を投与してきたと説明を受けていたこともあって、原告泰作の未熟児網膜症が被告らの診療行為に起因するものとは気付いていなかった。

原告政博及び同裕子が被告らへの損害賠償請求を思い立つきっかけとなったのは、昭和五七年にある小児科医の「植田先生の方に打診されてみてはどうですか。この治療には問題があると思うから。」という発言を聞いたことである。

これらのことからすれば、被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算日は、原告泰作が七歳となった昭和五七年一一月一五日と解すべきである。

理由

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告泰作が本症に罹患するに至った経緯等

1  原告裕子が昭和五〇年八月一日に植田医院において妊娠四箇月、出産予定日昭和五一年一月二六日と診断され、昭和五〇年一〇月三〇日、流産の危険があるとして植田医院に入院したこと、同年一一月四日に子宮頸管が2.5指開大し、胎胞が形成され流産の危険性が高くなったため、翌五日に被告三原が子宮頸管を縫合するシロッカー手術を原告裕子に施行したこと、原告裕子は同月一五日午前七時三〇分ころ破水し、同日午後五時四九分に在胎週数三〇週で原告泰作を出産したこと、原告泰作は生下時体重一五四八グラム、身長四三センチメートルの未熟児であったことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実を前提に<書証番号略>、原告栁田裕子、被告植田秀嶺、被告三原三郎の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告裕子は、昭和五〇年八月一日、植田医院において診察を受け、妊娠四箇月で出産予定日が昭和五一年一月二六日であると診断された。昭和五〇年一〇月三〇日、性器からの出血があったため、同日植田医院において診察を受けたところ、妊娠七箇月で既に子宮頸管が一指を通じるくらい(直径1.5センチメートル)開いていたため、切迫早産、子宮頸管無力症との診断を受け即日植田医院に入院した。

いったん開いた子宮頸管は、治療を施しても収縮して復元することは期待できないため、入院当初から、子宮頸管が更に開いて早産に至ることを防止するために、安静を保ち薬剤を投与する保存的療法が実施された。さらに、入院当初からシロッカー手術の行われた一一月五日までの間、毎日、膣洗浄と内陰部の触診とが行われた。その間、一一月四日には、被告三原の診察において、子宮頸管が2.5指通じるくらい(直径四センチメートル)開き、卵膜が子宮頸管を通して風船状に膨らんで胎胞を形成していることが認められた。そこで被告らは、このままだと確実に早産することになると判断し、翌五日原告裕子に対しプラスチック製の管で子宮頸部を締めつけて子宮頸管が開くことを物理的に防止するシロッカー手術を施行することにした。手術は被告三原が施行した。しかし、原告裕子は、同年一一月一五日午前七時半ころ破水し、同日午後五時四九分原告泰作を出産した。

原告泰作は、生下時体重一五四八グラム、身長四三センチメートル、胸囲24.5センチメートル、頭囲28.5センチメートル、在胎週数三〇週(七箇月半)の未熟児であった。

(二)  生下時の原告泰作には特に異常は認められず、出産直後のアプガースコアーは一〇点(満点)であった。被告植田は、原告泰作の出産直後の措置を完了して沐浴をさせた後、午後五時五五分、保育器に収容し、一分間0.5リットルの流量の一〇〇パーセントの酸素の投与を開始した。酸素の投与は、ネラトン六号のカテーテル(先端は閉じ、その少し手前に開口部があいているカテーテル)の先端を鼻孔前に固定する方法で開始され、この方法が十二月二日まで続けられた。この方法による投与により、酸素の濃度は、鼻孔直前で四二パーセントないし八四パーセント程度、保育器内全体では約二六パーセントの濃度に保たれていた(酸素濃度に関して、カルテには、一一月二三日、鼻腔カテーテル酸素濃度八四パーセント、鼻腔直前の濃度、二六日、酸素濃度室内二六パーセント、鼻腔四二パーセントとのみ記載され、その他の資料はないが、特に投与方法を変更したとの資料もないので、濃度が測定されていないその他の日の酸素濃度も右程度と推認される。)。一二月二日になって、鼻孔前での酸素投与は中止されたが、なお、一二月一七日午前一一時五分に酸素投与を中止するまで保育器内には、引き続き毎分0.5リットルの流量で一〇〇パーセントの酸素が投与され、保育器内の酸素濃度が約二六パーセントに保たれていた。

(三)  原告泰作には出生二日後の昭和五〇年一一月一七日午後五時にさ湯二CCが与えられた。以後、一日七回の頻度でミルクによる栄養投与が行われ、一回に与えるミルクの量は翌一八日は三CC、翌々日の一九日は四CCと一日ごとに一一月二五日まで一CCずつ、一二月一七日までは二CCずつ順次増量され、その後も順次増量されていった。原告泰作は哺乳力が弱く、一一月二一日から一二月一八日までは鼻腔・胃カテーテルによって強制授乳された。

原告泰作に対しては、ミルクのほか栄養補給のため果糖、ビタミンB1、ビタミンCの混合液が昭和五〇年一一月一七日から一二月七日まで皮下注射によって投与された。

(四)  原告泰作の体重は、出生後一七日目の一二月二日まで低下し続け、以後増加していったが、生下時体重に復帰したのは一二月二〇日ころであった。一五〇〇グラムくらいの低出生体重児であっても通常一〇日から二週間で生下時体重に復帰するが、原告泰作の場合は生下時体重まで復帰するのに約三五日かかった。

(五)  原告泰作の出生時の体温は三五度、この低体温の状態は一二月一三日ころまで続き、一二月一五日ころに三六度から三七度の正常な体温となった。

(六)  昭和五〇年一二月二九日に行われた原告泰作の血液検査の結果は、血色素が六五パーセント、ヘマトクリットが二三パーセント、赤血球が二六八万、白血球は一万一〇〇〇であり、同じく昭和五一年一月二二日の検査結果は、血色素六五パーセント、ヘマトクリット二八パーセント、赤血球二七九万、白血球一万三四〇〇、同月二九日の検査結果は、血色素五八パーセント、ヘマトクリット二七パーセント、赤血球二七七万、白血球一万〇七〇〇であった。

(七)  原告泰作は、体重が二二〇〇グラムを越えた昭和五一年一月一四日(生後六〇日)に保育器から一般のベビーベットに移され、同年二月一二日に植田医院を退院した。

(八)  原告裕子は、原告泰作が退院する際、原告泰作の視線の異常に気がつき植田医院の婦長にそのことを話したところ、眼科での受診を勧められた。また、退院後自宅を訪問した保健婦からも眼科での受診を勧められた。そこで、原告裕子は、昭和五一年二月一七日広島市内の戸田眼科医院において原告泰作の眼の異常を訴え診察を受けた。戸田医師は、診察の結果原告泰作の両眼の周辺部に堤防状の盛り上がりと血管増殖を認めたので、本症と診断し、光凝固法の適応があるかどうかの判定のため広島大学付属病院眼科での精密検査を受けるよう指示した。原告裕子はこれに従い昭和五一年二月二五日原告泰作を広島大学付属病院眼科で受診させた。その結果は、両眼とも壊死があり、その一部分から発生した硝子体混濁が周辺部の硝子体混濁と連結し、乳頭のみならず黄斑部まで牽引されており、滲出物もなく既に本症の瘢痕期の第四度に至っていて光凝固法の適応外であるとの診断であった。

原告裕子は、昭和五一年六月五日、光凝固法を世界で最初に本症の治療に適用した永田医師の勤務していた天理よろず相談所病院眼科で原告泰作を受診させた。その結果も、本症の瘢痕期病変が疑われ、既に有効な治療法はなく経過観察するほかないとの診断であった。

(九)  現在、原告泰作は、本症に罹患した結果として、右眼の視力は0.03(矯正不能)に低下し左眼は失明するという障害を持ち、身体障害者等級一級の認定を受けている。

3  被告らは、原告泰作に対して昭和五〇年一一月一五日から一二月一七日までの間、一分間に0.5リットルの流量の酸素を保育器内に投与したことは認めるが、鼻孔前にカテーテルの先端を置いて投与したのは、一一月一五日、二三日、二六日の三回に限り、しかもこの方法による酸素投与の時間は、いずれも一時間ないし一時間三〇分程度の短時間にすぎず、それ以外は、保育器内全体に行きわたるように投与した、と主張する。そして、被告植田、同三原各本人は、この主張に沿った供述をしている。

しかし、当裁判所は、被告ら各本人の右供述を採用しない。その理由は、次のとおりである。

被告ら各本人は、三回にわたって鼻孔前で酸素を投与した理由として、いずれも、呼吸障害又はチアノーゼなど原告泰作の全身状態の悪化があったため、低酸素症を防ぐため高濃度の酸素投与が必要と判断されたからである、と供述している。しかし、呼吸障害やチアノーゼなどは、死亡又は脳障害という重大な結果に結び付く低酸素症の徴候として、未熟児保育において最も重視されているものであるにもかかわらず、<書証番号略>のカルテには、このような全身状態の悪化を示す記載は全くなく、単に酸素の鼻孔前投与をうかがわせる記載が残されているにすぎない。このような重要な徴候が三回にわたって現実に認められたにもかかわらず、そのことがカルテに記載されていないというのは、不自然なことである。鼻孔前における酸素の投与は高濃度の酸素投与を必要とする特別な症状が認められた場合に限って行われていた、という被告ら各本人の供述を前提とすると、現にそのような重要なものとして認識されていた症状が全くカルテに記載されていないということはますます不自然に思われる。被告らの供述は、カルテに酸素濃度の測定結果の記載があること自体が、高濃度の酸素投与を必要とするような全身状態の悪化をうかがわせるものである、という趣旨に理解することも可能であるが、そのように理解しても、酸素濃度の測定結果だけを記載して全身状態の悪化について全然記載しないことが不自然であることに変りはない。さらに、それほど重視して記載されていたはずの酸素濃度につき、カルテの一二月五日の項に、空気中の酸素濃度よりも低い一八パーセントという明らかに誤った測定結果の記載が漫然と放置されていることは、やはり不自然なことである。

これに対して、一二月二日に植田医院に原告泰作の見舞いに訪れた際、初めて看護婦からその日に鼻孔前に置かれた酸素投与用のカテーテルが除かれたとの説明を受けたという、原告裕子の供述は、次のような事情から十分に信用することができる。

すなわち、当日の原告裕子の日記(<書証番号略>)にその旨の記載が残され、しかもその日記の記載によれば、原告裕子はその直前の一一月二九日、三〇日にも連続して原告泰作を見舞ったうえで、さらに一二月二日にも見舞っている事実が認められるから、日記の記載は、原告裕子が継続的に原告泰作の診療状況を観察しながら記載された信用性の高いものということができる。また、<書証番号略>によれば、原告泰作が植田医院を退院した直後の昭和五一年二月二五日の広島大学付属病院の眼科外来病誌の現病歴欄に、二行目には、一箇月間酸素受給(酸素濃度は不明)というあいまいな内容の記載がされながら、その末尾になって、酸素使用一二月一七日まで、一一月二三日まで経鼻、八四パーセント、という植田医院のカルテの記載とほぼ一致する具体的な内容が記載されていることは、広島大学付属病院の医師が、原告泰作を診察した際に、親の問診で得られなかった情報を植田医院に確認したうえでこのような具体的な酸素投与の記載をしたと考えるのが合理的であって、この広島大学付属病院の眼科外来病誌の記載は、少なくともその当時において、植田医院のだれかが原告泰作に対する継続的な鼻孔前酸素投与を認めていた事実を裏付けるものである。

以上のとおりであるから、植田医院のカルテに、一一月一五日、酸素鼻腔開始、二三日、鼻腔カテーテル酸素濃度八四パーセント、鼻腔直前の濃度、二六日、酸素濃度室内二六パーセント、鼻腔四二パーセント、との記載がされているほか、一二月五日までは、酸素の投与方法に関してカルテに全く記載がないこと、及び、原告裕子は、一二月二日に酸素のカテーテルが鼻から除かれたことを記憶し、その記憶が日記の記載にも裏付けられること、という資料に基づいて、被告らが、原告泰作に対して、一一月一五日から一二月二日までの間、カテーテルの先端を鼻孔前に固定する方法で酸素を投与したと認めるのが相当である。また、原告泰作にチアノーゼや呼吸障害の症状があったという点についても、被告らの供述は前記のように不自然であるから、採用することができない。

なお、原告裕子は、酸素用のカテーテルは、鼻孔前に固定されていたのではなく、鼻腔内に挿入されていたと供述するが、採用できない。この記憶は、保育器内を近くで観察して得られたものではないうえ、一方で鼻孔から栄養投与のカテーテルを挿入していながらさらに酸素用のカテーテルを鼻腔内に挿入することは呼吸を困難にすることであって実際不可能である、という被告らの供述は、これを否定する的確な証拠がない以上、一応合理的なものと認めざるを得ないからである。

三本症の病像

<書証番号略>、被告植田、同三原の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると次のとおり認められる。

1  本症の発生機序及び原因

本症は、未熟児(生下時体重二五〇〇グラム以下)特に生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以前の極小未熟児に多く発生する。網膜の未熟性を素因として網膜新生血管の異常増殖のため網膜剥離を起こし、失明あるいは強度の視力障害に至る疾患である。本症は、発症しても途中で進行が止まり自然治癒する場合が多く、自然治癒率は八〇パーセントあるいは八五パーセントともいわれている。

胎児の網膜血管は、通常の場合網膜上において在胎八箇月で鼻側周辺まで、在胎一〇箇月で耳側周辺までそれぞれ達するが、未熟児で出生した場合、網膜血管の発達が未熟のため網膜上に無血管帯が存在し、また、網膜血管中の血液内の高濃度血中酸素が未熟な右血管を収縮閉塞させ、その周辺部に虚血状態が起こり低酸素状態となることから、酸素不足を補うため、閉塞した網膜血管のすぐ横付近から新生血管が網膜上の無血管帯に異常増殖し、その新生血管により網膜の牽引剥離に至る。

未熟児の網膜に低酸素状態を発生させるものとして一般に挙げられるのは、網膜血管の未熟性及び網膜血管内血液の高濃度血中酸素によるものである。高濃度血中酸素の誘因としては通常酸素投与が挙げられる。一般には、酸素投与量が多いほど、また、投与された酸素濃度が高いほど本症の発症率は高いとされている。しかし、酸素投与を全く受けていない未熟児にも本症の発症する例が見られることから、酸素以外の因子のあることが指摘され、新生血管の牽引による網膜剥離に至る機序についても未解明の点が残されている。

以上のとおり、本症の発生原因及び発生機序については、すべてが明らかにされているわけではないものの、網膜血管の未熟性と網膜血管中の血液の高濃度血中酸素が原因の一つであり、未熟児に対する酸素の投与がその誘因となることについては異論を見ない。

2  本症の病態・臨床経過

本症の病態・臨床経過は多様であり、種々その分類結果が発表されていた。我が国では、次に述べる昭和四九年度研究班報告による分類が発表されるまでは、オーエンス(米国の眼科医)による臨床経過を活動期(Ⅰ期ないしⅤ期)、回復期、瘢痕期(Ⅰ度ないしⅤ度)とする分類方法が多く用いられていた。

しかし、昭和四五、六年以降にオーエンスの分類に当てはまらず症状が急激に進行し網膜剥離に至る型が存在することが明らかになったこと、眼底検査法が進歩し、従来の倒像、直像検査によるのではなく両眼立体倒像鏡やボンノスコープによる検査が可能になり、より詳細な情報が得られるようになったこと、本症の治療法として登場した光凝固法、冷凍凝固法の適応、施行時期及び方法につき必ずしも見解の一致が見られず、早急に本症の診断基準の設定を急ぐ必要が生じたことから、本症の研究についての我が国における先駆者である植村恭夫を主任研究員とする厚生省特別研究費補助金による昭和四九年度研究班によって、昭和五〇年三月に「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」(昭和四九年度研究班報告)が報告され、同報告は同年八月眼科専門誌に掲載され公表された。

昭和四九年度研究班報告による本症の診断基準と臨床経過の概要は次のとおりである。

「活動期の診断基準及び臨床経過分類について

検査の基準(両眼立体倒像鏡またはボンノスコープ)を用い、散瞳下において検査した場合のものであり、de-pressorは用いない場合とする。

臨床経過、予後の点より、未熟児網膜症をⅠ型(typeⅠ)、Ⅱ型(typeⅡ)に大別する。

Ⅰ型(typeⅠ)は、主として、耳側周辺に、増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のものである。

Ⅱ型(typeⅡ)とは、主として極小低出生体重児にみられ、未熟性の強い眼に発症し、血管新生が後極よりに耳側のみならず鼻側にも出現し、それより周辺側の無血管帯が広いものであるが、hazyのためにこの無血管帯が不明瞭なことも多い。後極部の血管の迂曲、怒張も初期よりみられる。Ⅰ型と異なり、段階的な進行経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い比較的速い経過で網膜剥離を起こすことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良型のものをいう。

Ⅰ型(typeⅠ)の臨床経過分類

一期(Stage1)血管新生期

周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないか、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

二期(Stage2)境界線形成期

周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

三期(Stage3)硝子体内滲出と増殖期

硝子体内へ滲出と血管およびその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。

四期(Stage4)網膜剥離期

明らかな牽引性網膜剥離が認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から、全週剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの期に含まれる。

Ⅱ型 (typeⅡ)

Ⅱ型は、前述した如く、主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼におこり初発症状は、血管新生が後極よりおこり、耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管領域は広くその領域は、hazy mediaでかくされていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり滲出性変化も強くおこりⅠ型の如き段階的経過をとることも少なく比較的急速に網膜剥離にと進む。

[註] 上記の分類の他に、極めて少数ではあるが、Ⅰ、Ⅱ型の混合型ともいえる型がある。

自然緩解は、Ⅰ型の場合は二期までで停止した場合には、視力に影響を及ぼすような不可逆性変化を残すことはない。三期においても自然緩解はおこり、牽引乳頭に至らずに治癒するものがあるが、牽引乳頭、襞形成を残し弱視となるもの、頻度は少ないが剥離をおこし失明に至るものがある。

瘢痕期の診断基準と程度の分類について

1 未熟児網膜症の瘢痕病変は、検眼鏡的にも、病理学的にも、特殊性を欠いており、活動期よりの経過をみていない場合には、鑑別すべき多くの眼疾があり、未熟児網膜症による瘢痕と確定診断を下すことは甚だ困難である。例えば、白色瞳孔を示すに至ったものでは、網膜芽細胞腫、第一次硝子体過形成遺残、13―15Trisomy(網膜異形成症候群)、コーツ病などとの鑑別を必要とする。鑑別には、出生時体重、在胎週数、酸素療法などの既往は、参考とはなるが、確診を下すことは難しい。牽引乳頭、網膜襞形成も先天性鎌状剥離(posterior PHV)や、胎生期あるいは周生期における種々の眼疾によってもたらされることが多く、白色瞳孔以上に、未熟児網膜症の瘢痕と診断することは困難といえる。他方、活動期よりその経過を観察し瘢痕を残した症例については誤りはない。従って、自ら活動期の経過を観察していたものか、あるいは他の眼科医が活動期病変を診ていたことが明らかな症例については、未熟児網膜症の瘢痕と診断しうるが、そうではなく、はじめて外来を訪れたような症例については、[疑い]の域にとどまらざるを得ない。これを明確にしておかないと、成熟児の網膜症の問題を含めて、瘢痕例の実態の把握にあいまいさをもたらすことになる。

2 瘢痕期の分類

一度 眼底後極部には、著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網脈絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は、正常のものが大部分である。

二度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は、視力は良好であるが、黄斑部に病変が及んでいる場合は、種々の程度の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。

三度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとりこまれ、襞を形成し周辺に向って走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は0.1以下で、弱視または盲教育の対象となる。

四度 水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり、盲教育の対象となる。

以上、瘢痕に関する診断基準は、分類法においては、自然経過例においてのみ意見の一致をみたが、瘢痕期の判定の時期、方法、晩期合併症との関連については、尚、今後の検討を必要とする。

検眼鏡的検査は、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三カ月以降は、隔週または一カ月に一回の頻度で六カ月迄行う。発症を認めたら必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。瘢痕を残したものについては、殊に、一〜三度のものは、晩期合併症を考慮しての長期にわたるfollow upが必要である。」

3  本症の予防

(一)  未熟児に対する酸素療法の発展

未熟児は、全身的な組織が未熟であって、生命維持に不可欠な呼吸機能が不全であり、とりわけ、肺胞拡張不全に伴う無呼吸発作、低酸素症ないし無酸素症とその悪循環により、死亡したり、脳障害を引き起こしたりする危険が大きい。

そこで、未熟児保育において、一九二〇年代に酸素療法が導入され、特にアメリカでは一九四〇年代から、出生直後からの継続的な酸素投与が一般的に行われるようになった。一九四八年度のアメリカ小児科学会の勧告では、未熟児の呼吸障害に対する酸素の有効性が認められ、すべての未熟児には生後直ちに酸素を投与すべきである、と述べられている。

(二)  本症の発生と酸素療法の制限

本症及びこれによる失明児は、このような未熟児保育における酸素療法の進歩と保育器の普及とともに、一九四〇年代の後半から一九五〇年代の前半にかけて、欧米で多数発生するようになった。

そこで、一九五〇年代の前半に、未熟児に対する過剰な酸素の投与が本症の発生の主要な原因として関与していることが明らかにされ、一九五四年には、アメリカ眼耳鼻科学会が、①すべての未熟児にルーチンに(ルーチンにとは、特別のことがなければ当然のこととして、の意味である。)酸素を投与することを中止する、②チアノーゼあるいは呼吸障害のあるときのみ酸素を投与する、③呼吸障害がとれたら直ちに酸素投与を中止する、などの酸素投与を行う場合の制限を勧告し、さらに、酸素投与を行う場合についても、濃度は四〇パーセント以下とし、できるだけ投与量を制限すべきであるという勧告を行った。

この勧告を契機に、欧米で、未熟児に対する酸素の投与は、投与する場合についても、投与の量についてもできるだけ制限すべきである、という見解が急速に広まった結果、欧米における本症の発生は劇的に減少し、一九五七年ごろには、本症の流行的発生の終息を見た。

(三)  酸素療法の制限による低酸素症の増加

しかし、一方で一九六〇年代に入って、アメリカで、酸素使用制限に伴い新生児死亡率の上昇したことが報告され、さらには、本症の発生率と脳性麻痺の発生率とが負の相関関係にあることが報告され、低酸素症による障害の発生と酸素の過剰投与による副作用としての本症の発生とが、二律背反の関係にあることが意識され、主に呼吸障害のある未熟児について、再び高濃度の酸素投与が必要と考えられるようになった。

(四)  日本における酸素療法の発展と本症の発生

日本で未熟児に対する酸素療法が普及したのは、欧米における本症の発生が激減した後の一九六〇(昭和三五)年以降である。

したがって、昭和三〇年以降、日本でも本症が発生するようになっていたが、酸素療法が普及する前は、いまだ散発的な発生にとどまり、注目されていなかった。しかも、日本では、酸素療法が普及するに当たって、本症の流行的発生を見た欧米での経験を踏まえて、既に酸素の投与を制限するのが一般的な治療方法とされていたため、酸素療法が普及してからも、アメリカのような流行的発生は起こらなかった。したがって、日本では、酸素投与の適応を、チアノーゼや呼吸障害の症状のある未熟児に限定し、未熟児一般に対する継続的な酸素投与や鼻腔カテーテルによる酸素投与などの危険を指摘したり、酸素投与を厳しく制限したりする見解も一方ではあったが、酸素療法の普及した昭和三五年ころは、欧米における経験を踏まえ、酸素濃度を四〇パーセント以下にし、極端に長期にわたらなければ本症の発生の危険はないという見解が一般的であった。

(五)  日本における酸素療法の制限の歴史

しかし、昭和四一年に、国立小児病院眼科医植村恭夫らが、同病院における本症の発生頻度を紹介して以降、日本でも発生報告が相次ぎ、本症が注目を集めるようになった。

それでも、小児科の一般的な教科書である「小児の治療保健指針」(いわゆる「東大小児科治療指針」)は、昭和四四年に保育器内の酸素濃度の基準を従来の四〇パーセント以下から三〇パーセント以下に改めたものの、引き続きルーチンの酸素投与を許容していた。しかし、昭和四九年の改訂第七版から、従来のルーチンの酸素投与を許容する記載を、次のような記載に改めた。「呼吸障害やチアノーゼを有する未熟児には、酸素欠乏を救うために酸素投与が不可欠である。いっぽう、酸素の過剰投与は未熟児網膜症の原因となる。未熟児に対する酸素の供給は次の原則に従う。①低出生体重児に対してルーチンに酸素投与を行ってはならない。酸素は全身のチアノーゼまたは呼吸障害がある場合のみ投与する。酸素投与が必要かどうかは医師が判断し、医師の指示によって酸素を投与する。②保育器内の酸素は、チアノーゼを消失させる最低限度に維持する。③一日に一、二回は酸素濃度を下げてみて、チアノーゼが出現しなければ、すみやかに酸素を減量ないし中止する。④酸素濃度を一日数回測定し、記録する。⑤無呼吸発作に対して高濃度の酸素を投与した場合は、呼吸が再開されたら酸素を減量ないし中止し、高濃度の酸素を持続的に与えないよう注意する。」

しかし、昭和四〇年代から昭和五一年ころまで、本症に特別の関心を持っている者を除き、一般の医師の間では、本症の臨床経験も少なく、保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以下にし、極端に長期間にわたらなければ本症の発生の危険はないという見解が相当広く行きわたっていた。

(六)  酸素管理の困難さ

酸素投与を行うのは低酸素症の存在が確認された症例に限定することが望ましいとしても、低酸素症の診断は必ずしも容易ではない。低酸素症の直接の原因は動脈血酸素分圧の低下であるが、動脈血酸素分圧の測定によって低酸素症の症状を把握することは、手技の困難さ、測定値の経時的変化、未熟児に与える負担の大きさなどのために、昭和五一年になっても、臨床の場において、いまだ一般的な方法とはなっていなかった。

したがって、実地の臨床における低酸素症の診断は、中心性チアノーゼ、無呼吸発作、努力呼吸などの所見に頼らざるを得ないのが実情であった。しかし、最も信頼性の高い中心性チアノーゼにしても、その出現と低酸素症の直接の原因である動脈血酸素分圧の低下との関係は場合によって相当に異なり、動脈血酸素分圧が相当低い値になっても中心性チアノーゼが発現せずに、酸素投与の時機を失する可能性もある。しかも、保育器内の酸素濃度を一定に保つことができても、未熟児の心肺機能には、個体差があるため、それだけで未熟児の動脈血酸素濃度を一定に保つことができるわけではない。

また、本症の発生は、酸素の投与量との間にある程度の相関関係はあり、とりわけ重症の本症の発生は未熟児に酸素療法を施した期間と関連がある。しかし、未熟児の酸素に対する反応性には個体差が大きく、同じ量の酸素を投与しても本症が発生する場合もあれば発生しない場合もあり、また酸素を全くあるいはほとんど投与しない例にも本症が発生することもあるため、酸素管理を適切にするだけでは、本症の発生を完全に予防することは困難である。

他方、酸素投与の制限も、行き過ぎれば、脳障害を発生させる危険がある。このような事情から、一方で低酸素症の発生を防止しつつ、他方では副作用としての本症の発生を予防することができる安全な酸素療法のガイドライン(指針)は、昭和五一年の段階に至っても、確立したとはいえない状態にあった。

例えば、日本小児科学会新生児委員会は、眼科医の植村恭夫の協力を得て、昭和五〇年二月九日、日本小児科学会理事会に対し、昭和四九年現在の知見に基づくものであるとして、「未熟(児)網膜症予防のための指針」を答申した。その内容は次のとおりである。

「 Retrolental fibroplasia (RLF)(Terry 1942)または、Retinopathy of prematurity(Heath 1951)(注・いずれも本症のこと)の発生、進行の機序には未解決の問題が多いがその頻度はわが国においても少なくなく、重症例は失明を招来するために、本症は社会的問題に発展してきた。一般に未熟児の網膜検査に習熟した眼科医によって診断が行われた報告ではその発生頻度は高くなっている。未熟網膜症(注・本症のこと)の発生を完全に防止することは不可能であるが、重症化を防ぐための注意や処置が提案されているので、現在までの知見をまとめて、本症の発生と重症化をできるだけ防止するために本指針を作った。

Ⅰ 未熟網膜症発生の要因

<略>

Ⅱ 未熟網膜症の病期と重症度

<略>

Ⅲ 未熟網膜症予防の具体策

1 酸素療法に際する注意

低酸素症のある未熟児には救命的に酸素療法を行わなければならない。もし酸素を投与しないときは脳の低酸素症のために、脳性麻痺などを遺すこともある。しかし一方では酸素療法が未熟網膜症を増悪することもあるので酸素療法を行う場合には次の各項に留意しなければならない。

(イ) 低出生体重児に酸素療法を行う場合には、低酸素症が明瞭に存在するときに限る。低酸素症の存在は中心性チアノーゼ、無呼吸発作、および呼吸窮迫(多呼吸、呼吸性呻吟、陥没呼吸、チアノーゼ)などによって判定する。

(ロ) 酸素療法を行う場合は、一日数回の保育器内酸素濃度測定を行い必要以上の酸素供給を行わないように注意する。酸素流量を一時間一回点検しておけば、器内濃度は一日二回ぐらい測定しても充分である。ただし流量を変えたときは、その都度器内酸素濃度を測定する必要がある。

(ハ) 高濃度の酸素療法を必要とするとき、あるいは長期に亘る酸素療法が必要なときには、酸素療法実施期間中は、適宜Pa02(注・動脈血酸素分圧のこと)を測定して六〇〜八〇mmHgに保つようにすることが望ましい。

(ニ) 酸素療法は出来るだけ短時間で中止することが望ましいが、七日以上投与しなければならないときはPa02の測定のほか、必ず眼底検査を行って網膜症の早期発見につとめるべきである。

(ホ) 無呼吸発作を繰り返す症例、人工換気療法を併用する症例では、とくにPa02の測定と眼底検査が必要である。

(ヘ) 動脈血の採血場所は橈骨動脈、側頭動脈あるいは指動脈が好ましいが、股動脈血、臍動脈カシーターにより採取した下行大動脈血でもよい。動脈血化毛細管血は使用出来ない。

(ト) 網膜発達が未熟なときは、まれに成熟児でも網膜症の発生がみられるので高濃度酸素療法、長期酸素療法に際しては、低出生体重児と同じ注意が必要である。

2 眼科医の協力

未熟網膜症の早期診断、増悪防止のためには眼科医の協力が不可欠である。未熟児の眼底検査は眼科専門医といえどもかなりの習熟を必要とするので、小児科医は眼科医の眼底検査に協力し、両科の協力態勢を作っておくことが肝要である。

(イ) 眼科医による眼底検査は、出生体重一八〇〇グラム以下三五週以前の早期産児には全例、これ以上の体重のものでも酸素療法をうけた児については行うことが望ましい。

(ロ) 眼底検査は、とくに酸素療法を開始しておよそ二週間を経たときには必ず行う。

(ハ) 在胎週数と生後週数の和が五五週になるまでは網膜症発生の可能性があるので、その間は毎週あるいは隔週に一回定期的に眼底検査を行う。

(ニ) また退院後三カ月、六カ月を経た時点で改めて眼底検査を行うことが望ましい。

(ホ) 眼底所見の進行とPa02の異常高値は酸素療法中止の指標となる。

(ヘ) 眼底の経時的観察で、活動期変化が進行するときは、光凝固術その他の適切な治療が可能な施設に患児を転送することが望ましい。

この指針は一九七四年現在の知見にもとづくものであって、今後未熟網膜症の発生、進展の機序がさらに明確にされた場合には変更される可能性がある。

わが国におけるNeonatal Intensive Care Unit(NICU)の整備は不完全であって、本症患児のすべてがNICUの機能をもつ病院で診療されるようになる日が一日も早く実現することを期待するものである。」

しかし、この答申も、小児科学会理事会において、公表するにはなお学問的に検討すべき問題があり、また日本における医療水準に照応するかどうかについても疑問が残されているとして、昭和五二年九月二五日になって、初めて、次に述べる「未熟児に対する酸素療法の指針」と同時に小児科学会員一般に公表されるまで、公表が差し控えられた。

同理事会において、当時具体的に問題となったのは、「酸素療法実施期間中は適宜動脈血酸素濃度を測定して六〇〜八〇mmHgに保つようにすること」、「動脈血の採血場所は橈骨動脈など各部の動脈を用いるが、動脈血化毛細管血は使用できない」などの点であり、未熟児で反復的に動脈血を採血することは実際上たいへん困難であり、また安全の保証がなく、また、酸素療法を行ったものにはすべてに眼底検査を行うこと、という内容も熟達した眼科医の確保という点で問題があろうというのが、主な意見であった。

また、昭和五二年八月三一日に、新生児委員会は、「未熟児に対する酸素療法の指針」を小児科学会に答申した。その内容は次のとおりである。

「1 酸素療法の適応

酸素の投与を必要とするのは低酸素血症がある場合で、未熟児に対する慣行的な酸素投与は避けるべきである。低酸素血症の存在は動脈血酸素分圧の値によって判定し、もし動脈血酸素分圧の測定が不可能な場合には中心性チアノーゼ(躯幹の皮膚や口唇のチアノーゼ)の存在によって推定する。

2 目標とする動脈血酸素分圧

正常新生児の動脈血酸素分圧は六〇〜一〇〇mmHgである。

低酸素血症を伴う未熟児に酸素を投与する場合は、動脈血酸素分圧が六〇〜八〇mmHgに保たれるようにする。

3 投与する酸素濃度

投与する酸素濃度は動脈血酸素分圧の結果により調節することが必要である。

重症の呼吸障害では動脈血酸素分圧を正常に保つために、高濃度の酸素を必要とする場合がある。また反面、軽症の場合には酸素投与により動脈血酸素分圧が高くなり過ぎることもあり、吸入気体の酸素濃度が四〇パーセント以下ならば副作用がないという考え方は妥当ではない。

4 動脈血酸素分圧測定のための採血部位

動脈血酸素分圧測定のための理想的な採血部位は、側頭動脈、橈骨動脈、または掌側固有指動脈であるが、安静な状態で頻回に採血することは困難である。その場合、臍帯動脈を通じてカテーテルを下行大動脈に挿入、留置し、そこからの採血でもよい。ただし、臍帯動脈カテーテル法は、挿入が困難なこともあり、また、感染、血栓症などの危険のあることも承知しておくべきである。

5 動脈血酸素分圧が測定不能な場合

動脈血酸素分圧の測定が不可能な場合には、中心性チアノーゼを消失させるのに必要な最低必要限の酸素を投与する。

高濃度の酸素投与を長時間持続しなければならない場合には、動脈血酸素分圧の測定結果に基づいて投与する酸素濃度を調節する必要があるので、この検査のできる施設へ移送することが望ましい(しかし、現状においては移送および受入れ体制の不備のため実行不可能な場合が少なくない)。

6 患児の状態が好転する場合

患児の状態が改善してゆく場合には、動脈血酸素分圧を正常範囲に保ちながら投与する酸素濃度を注意深く下げてゆき、酸素療法をできるだけ短時間で中止できるよう努力する。

7 吸入酸素濃度の測定

酸素投与中止は指示された酸素濃度が保たれているかどうか吸入気体の酸素濃度を一日数回定期的に測定し記録する。

酸素濃度計はときどき空気と一〇〇%酸素とを測定し、正しい酸素濃度を示すよう調整する。

8 吸入酸素の加温

吸入する酸素、あるいは酸素と空気の混合気体は加温加湿して投与する。

この指針を日本小児科学会からの諮問に対してここに答申する。」

しかし、この答申も、その前文において、次のような留保を付して、答申内容は当時の医療の水準では必ずしもなく、しかも、適切な酸素投与を判断する基準は確立していないことを認めている。

「 未熟児が低酸素血症の状態にある場合、酸素療法は不可欠である。一方、未熟(児)網膜症の第一原因が網膜の未熟性にあることは周知の事実であるが、未熟児に対する高濃度酸素の長期間持続投与が、未熟(児)網膜症の発生頻度を高める要因であることも指摘されている。

しかし、未熟(児)網膜症の発生を警戒するあまり、酸素を必要とする児に酸素投与を制限すると、未熟(児)網膜症は減少するが、死亡率が高くなるばかりでなく、生存した場合でも脳性麻痺の発生頻度が高くなる。

従って、未熟児に酸素の投与が必要な場合には適切な酸素投与が重要であるが、投与する酸素が適切であるか否かを判断し得る完全な方法や基準はない。たとえば、患児の動脈血酸素分圧を測定しても、どの値までが安全であるか正確にはわかっていない。

しかしながら、適切な酸素療法の重要性に鑑み、日本小児科学会新生児委員会は、現在のところ妥当と考えられている事柄を基に未熟児に対する酸素療法の指針を作成した。

本指針の内容は最低基準ではなく、現時点における理想的基準である。当委員会は、医療の実施段階において本指針の水準に達していない施設がわが国では多いことを認識しているが、新生児(未熟児を含む)医療水準の向上を願って本指針を作成した。」

4 本症の治療法

(一)  光凝固法は、周辺網膜の無血管帯付近の新生血管を凝固することにより脈絡膜との間に癒着を生じさせ、網膜剥離を防止しようとする治療法である。天理よろず相談所病院の眼科医永田誠がこの光凝固法を本症に試みた結果本症の進行が停止した二例の症例を昭和四三年四月発行の「臨床眼科」二二巻四号(<書証番号略>)で報告し、昭和四五年には四例の追加報告を行い、同年一一月発行の「臨床眼科」に本症の病態、眼底検査の方法等について報告を行った。昭和四七年には山下由紀子医師によって、光凝固法とほぼ原理を同じくする冷凍凝固法による治療が有効であったとの報告がなされた。(以下、光凝固法及び冷凍凝固法をまとめて単に「光凝固法」と表示することもある。)

これらの報告の後、各地の先駆的医療機関において多くの追試が行われ、光凝固法が本症に対する有効な治療法として評価されるようになった。これに伴い、本症の診断方法及び治療方法として光凝固法が多数の医学雑誌に繰り返し紹介されるようになり、昭和四八年ころからは一般の医療機関でも本症に対し光凝固法が治療法として用いられるようになった。その間、広島県では、広島県立病院の野間昌博医師が、昭和四六年一一月、昭和四五年六月までに光凝固法を施行した二例につき、一例については進行を食止めることはできたが他の一例は瘢痕期Ⅳ度の変化を残した、との報告をし、更に昭和四七年二月、昭和四五年三月から一〇月までに施行した五例八眼につきオーエンス瘢痕期Ⅱ度からⅢ度の症状を防ぐことはできなかった、との報告をしている。

(二)  他方、光凝固法に対しては、当初から、①適応、施行時期、部位等につき統一した基準がない、との批判があり、後には、光凝固法の適応がなく症状が急激に進行する激症型が発見されたために、②それまで光凝固法が施行され成功例として報告された症例の多くが自然治癒傾向の強いⅠ型であってそのまま放置しても自然治癒した可能性のある症例に光凝固法を施行したにすぎない、との批判的見解も出されていた。また、③光凝固法による人工瘢痕が患児の視力にどのような障害を与えるのか長期的観察を要する、との意見も強く主張されていた。

(三)  このような状況の下で、光凝固法の適応、施行時期等についての診療基準の確立が要請されるようになり、前記昭和四九年度研究班報告では「未熟児網膜症の治療は本疾患による視覚障害の発生を可及的に防止することを目的とするが、その治療には未解決の問題点がなお多く残されており、現段階で決定的な治療基準を示すことは極めて困難である。しかし進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固或は冷凍凝固によって治癒しうることが多くの研究者の経験から認められているので、未熟児網膜症研究班において検討した本症の臨床経過の分類基準に基づき各病型別に現時点における治療の一応の基準を提出することとする。」と前置きをしたうえ、次のとおり本症の治療基準が述べられている。

「 治療の適応

本症は臨床経過診断基準に示したようにⅠ型、Ⅱ型に大別され、この二つの型における治療の適応方針には大差がある。

Ⅰ型においてはその臨床経過が比較的緩徐であり、発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては、極小低出生体重児という全身条件に加えて網膜症が異常な速度で進行する為に治療の適期判定や治療の施行そのものにも困難を伴うことが多い。従って、Ⅰ型においては治療の不要な症例に行きすぎた治療を施さないよう慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては失明を防ぐ為に治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれる。

治療時期

Ⅰ型の網膜症は自然治癒傾向が強く、二期までの病期中に治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、二期までの病期のものに治療を行う必要はない。三期において更に進行の徴候が見られるときに初めて治療が問題となる。

但し三期に入ったものでも自然治癒する可能性は少なくないので進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。この時期の進行傾向の確認には同一検者による規則的な経過観察が必要である。

Ⅱ型網膜症は血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いのでⅠ型のように進行段階を確認しようとすると治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型の網膜症は極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起るので、このような条件をそなえた例では綿密な眼底検査を可及的早期より行うことが望ましい。無血管領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起り始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は直ちに治療を行うべきである。

治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましい。全体状態不良の際は生命の安全が治療に優先するのは当然である。

光凝固はⅠ型においては無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し後極部付近は凝固すべきではない。無血管領域の広い場合には境界領域を凝固し、更にこれより周辺側の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

Ⅱ型においては無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に充分な注意が必要である。

冷凍凝固も凝固部位は光凝固に準ずるが、一個あたりの凝固面積が大きいことを考慮して行う。冷凍凝固に際しては倒像検眼鏡で氷球の発生状況を確認しつつ行う必要がある。

初回の治療後症状の軽快が見られない場合には治療を繰返すこともありうる。又全身状態によっては数回に分割して治療せざるを得ないこともありうる。

[註]

上記の治療基準は現時点における未熟児網膜症研究班員の平均的治療方針であるが、これらの治療方針が真に妥当なものか否かについては更に今後の研究を俟って検討する必要がある。

Ⅰ型における治療は自然瘢痕による弱視発生の予防に重点が置かれているが、これは今後光凝固治療例の視力予後や自然治癒例に見られる網膜剥離のごとき晩期合併症に関する長期観察結果が判明するまでには適応に問題が残っている。Ⅱ型においては放置した際の失明防止の為に早期治療を要することは疑義はないが治療適期の判定、治療方法、治療を行う時の全身管理などについては、尚今後検討の余地が残されている。

混合型においては治療の適応、時期、方法をⅡ型に準じて行うことが多い。

発症初期から経過観察をすることができなかった症例で、一部に瘢痕性病変が始まり、一部に活動性病変が残存している場合の治療については研究班員において意見の一致を見るに至っておらず、なお今後の検討を要する。

副腎皮質ホルモンの効果については全身的な面に及ぼす影響をも含めて否定的な意見が大多数であった。」

(四)  昭和四九年度研究班報告による右基準に対しては、その報告自体において、それが「現時点における未熟児網膜症研究班員の平均的治療方針であるが、これらの治療方針が真に妥当なものか否かについては更に検討する必要がある。」旨の留保が付せられている。そして、昭和四九年度研究班報告後も、光凝固法の有効性に疑問があるとする批判的な見解も見られ、特にⅡ型についての光凝固法の効果については論争があり、昭和五二年度から厚生省本症研究班によって研究が進められることになった。

また、日本小児科学会新生児委員会が、昭和五〇年二月に、日本小児科学会理事会に答申した「未熟(児)網膜症予防のための指針」においては、前述のとおり、「未熟児網膜症の早期診断、増悪防止のためには眼科医の協力が不可欠である。未熟児の眼底検査は眼科専門医といえどもかなりの習熟を必要とするので、小児科医は眼科医の眼底検査に協力し、両科の緊密な協力態勢を作っておくことが肝要である。(イ)眼科医の眼底検査は、出生体重一八〇〇g以下三五週以前の早期産児には全例、これ以上の体重のものでも酸素療法を受けた児については行うことが望ましい。(ロ)眼底検査は、とくに酸素療法を開始しておよそ二週間を経たときには必ず行う。(ハ)在胎週数と生後週数の和が五五週になるまでは網膜症発症の可能性があるので、その間は毎週あるいは隔週に一回定期的に眼底検査を行う。(ニ)また退院後三カ月、六カ月を経た時点で改めて眼底検査を行うことが望ましい。(ホ)眼底所見の進行とPa02(動脈血酸素分圧)の異常高値は酸素療法中止の指標となる。(ヘ)眼底の経時的観察で、活動期変化が進行するときは、光凝固術その他適切な治療が可能な施設に患児を転送することが望ましい。」旨の内容が含まれていた。さらに、「酸素療法はできるだけ短時間で中止することが望ましいが、七日以上投与しなければならないときは、Pa02(動脈血酸素分圧)の測定のほか必ず眼底検査を行って、網膜症の早期発見につとめるべきである。」という内容も含まれていた。しかし、小児科学会理事会では、酸素療法を行ったものにはすべてに眼底検査を行うこととする内容は、熟達した眼科医の確保という点で問題があるなどの意見が強く出されたため、右答申は、昭和五二年九月二五日に至るまで一般に公表されなかった。

四被告らの責任について

1  母体管理義務違反について

原告らは、早産のおそれがある場合には、内陰部の触診・洗浄をしてはならないのに、被告らにはこれを原告裕子に行った過失がある旨主張する。そして、早産のおそれのある場合に安静が最も重要であることは、一般論としては、被告らも明らかに争うことをしていない。しかし、だからといって、そのことが一切触診・洗浄をしてはならないという原告らの主張する考え方を裏付けることになるわけではない。また、このような考え方を裏付ける十分な証拠はない。むしろ被告植田及び同三原の各本人尋問の結果によれば、原告裕子に対して行われた右触診等の診療行為は一応適切な診療行為であったことが認められるから、これらの供述を覆すに足りる証拠のない本件においては、右触診等の診療行為が、医師の合理的な裁量の範囲を越える違法なものとまでは認められない。したがって、被告らに母体管理の点について過失があったということはできない。原告らの母体管理義務違反の主張は理由がない。

2  酸素管理義務違反について

前記認定の事実によれば、未熟児に対する適切な酸素管理の在り方に関する医療水準について、次の事実を認めることができる。

原告泰作の出生した昭和五〇年一一月当時においては、確かに、日本における本症の発生報告が増えるにつれて、専門的な研究者の間では、酸素の投与はチアノーゼや呼吸障害などの低酸素症の症状の見られる場合に限定すべきであるという見解が一般的になっていた。そして、このような特別な症状のない未熟児に対しても、保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以下にし極端に長期間にわたらなければ、ルーチンに酸素を投与することも許容されるという従来の考えは、少なくとも昭和四九年以降は、専門的な研究者の間では採用されなくなっていた。しかし、専門的な研究者の間では一般的になっていたこの見解も、いまだ一般の開業医に広く普及するまでには至っていなかった。一般の開業医にとっては、本症による失明の危険性の認識は必ずしも十分でなく、むしろ未熟児保育の発展の当初から最も重要でありかつ日常的な問題であった低酸素症による死亡や脳障害の発生の危険性の方が、依然として重視されていた。したがって、未熟児に対する酸素投与についても、従来どおり四〇パーセント以下の濃度の酸素であれば、極端に長期にわたらない限りルーチンに投与することも許されるという見解が、一般の開業医には依然として広く行き渡っている状況にあった。しかも、酸素投与を低酸素症の症状の見られる場合に制限すべきであるという専門的な研究者の右見解も、低酸素症診断の困難さや個々の未熟児の生理機能の差異などの複雑な要素が存在するために、結局のところ、一方で本来の目的である低酸素症による死亡や脳障害の発生を確実に防止しつつ、他方で副作用としての本症の発生を予防することのできる確実な酸素療法の指針であるとまではいえないものであった。また、動脈血酸素分圧を測定しながらこれを一定に保つように酸素の投与量を調節する方法も、専門的な研究者の間には存在していたが、一般の開業医において実用化されるには至っていなかった。

このような事実関係を前提とすると、低酸素症による死亡や脳障害の発生を確実に防止しつつ(これこそが未熟児に対する医療において最も重視されなければならない点であることは、いうまでもないことである。)、他方で副作用としての本症の発生を予防することのできる確実な酸素療法の指針のなかった昭和五〇年一一月当時に未熟児である原告泰作を診療した一般の開業医である被告らとしては、低酸素症による死亡や脳障害の発生をできるだけ確実に防止するために、具体的な呼吸障害の症状の有無や程度にかかわらずルーチンに酸素を投与することも、投与の量が濃度や投与期間等において著しく過剰であると認められない程度にとどまる限り、診療当時の臨床医学の実践における医療水準に基づいた医師の裁量の範囲内の行為として許されていたと考えるのが相当である。

右の立場に立って、本件における酸素投与の量を見ると、一方では、前記認定のように、鼻孔前にカテーテルを固定して酸素が投与される状態が一八日間継続し、その間の鼻孔前の酸素濃度の測定結果は四二ないし八四パーセントという見方によっては相当高いものであったことを認めることができる。しかし、他方で、吸入気体の酸素濃度はこのような鼻孔前の酸素濃度の測定結果よりやや低いものであったと推認されるほか、その間も、酸素の流量は一分間に0.5リットルという保育器内全体では二六パーセント程度の濃度になるような比較的低い状態に維持され、鼻孔前の酸素投与が中止された後一五日間は、保育器内全体の酸素濃度が二六パーセントに維持され、酸素の投与は合計三三日間で中止されていることをも考慮に入れると、この程度の量の酸素の投与は、原告泰作にチアノーゼや呼吸困難等の低酸素症の症状がなかったことを前提としても、前記認定の本件の診療当時における医療水準の下においては、医師の裁量の範囲を越える著しく過剰なものであると認めることはできないというべきである。

以上のとおりであるから、被告らに、酸素管理上の義務違反があるとは認めることはできない。

3  全身管理義務違反について

原告らの主張は、被告らが、原告泰作に対する栄養補給や体温などの全身管理を怠り、これによってチアノーゼや呼吸障害などの症状が発生したため酸素の投与が必要になったというものである。しかし、チアノーゼや呼吸障害が発生していないことは、前記認定のとおりであり、しかも、このような症状がなかったとしても被告らの行った酸素の投与が違法とされるものでないことは、前述のとおりであるから、全身管理の点で原告らの主張する義務違反があったかどうかによって、本症について被告らの責任の有無が左右されるものではない。

したがって、全身管理義務違反の主張も理由がない。

4  眼底検査義務違反について

前記認定事実の下では、未熟児の診療に当たっては、光凝固法による治療が有効であるものとして対処し、酸素投与の行われた未熟児に対しては定期的に眼底検査を実施すべきことが、遅くとも昭和四九年度研究班報告の発表されたときには、これにより、当時の知見に基づくものとして、少なくとも、本症の専門的研究者あるいは本症に特別の関心を持つ医師の間では、一般に承認されるに至った、ということができる。しかし、昭和四九年度研究班報告は、それ自体、本来、失明という重大な結果を生じさせ得る本症について、一部専門的な研究者によって光凝固法が有効な治療法であるとの研究報告がなされてはいたものの、光凝固法の有効性とその実施の妥当性については批判的な見解もあり、未だ統一した診断基準及び治療基準が確立していなかったことから、一般臨床医の間ではその治療法ついて混乱を生じており、早急に本症の診断基準及び治療基準を確立する必要に迫られたため、本症についての専門的研究者で構成された研究班によって研究された結果が発表されたものであり、その目的は、眼底検査を含む本症の権威ある診断基準及び治療基準を確立すること、及び、それを通じて、眼底検査に習熟した医師の養成、診療科目相互間の連携態勢の確立等、光凝固法の実施を前提とする眼底検査の普及による本症の適切な診療態勢の確立の基礎を築き、研究結果に従った医療水準の確立のためその内容を普及させることにあったのである(このことは、前認定の、昭和四九年度研究班報告の報告がなされるまでの経過及びその内容自体から認めることができる。)。

右述べたところを前提にすると、反対の結論に導くべき根拠が具体的に証明されない限り、昭和四九年度研究班報告によって示された内容の本症の診断基準及び治療基準(酸素投与の行われた未熟児に対する定期的な眼底検査の実施)が、同報告の発表以前に、一般の産婦人科の開業医の医療水準として確立し、それに反することがその法的義務に反するとまでいい得る状態に達していたということはできず、右状態に達するためには、同報告の内容が発表され、かつ、それが一般の産婦人科の開業医にまで広く知られるに至るのを待つ必要があると考えるべきであり、そうだとすると、同報告の発表後なお相当の期間を要したものといわざるを得ない。

ところが、本件診療時は同報告が発表されてから三箇月という比較的短い期間しか経過していない時期でもあり、その間に、同報告の内容が、産婦人科関係の一般的な雑誌に掲載されるなど一般の産婦人科の開業医に広く認識されることが可能な形態において公表された事実を裏付ける証拠もない。また、この時期は、日本小児科学会理事会が、眼底検査の必要性の指摘において昭和四九年度研究班報告の内容にほぼ照応する昭和五〇年二月の新生児委員会答申「未熟(児)網膜症予防のための指針」を、「酸素療法を行ったものにはすべて眼底検査を行うこと、という内容は熟達した眼科医の確保という点で問題がある。」などの理由で、同指針の内容を当時の医療水準とすることに疑問があるとして、未だ公表を差し控えていた時期であることは前認定のとおりであり、このことは、本件診療時には未だ光凝固法の実施を前提とする眼底検査の実施が一般の産婦人科の開業医に広く定着するまでには至っていなかったことを強く推測させるものである。

もっとも、昭和四九年度研究班報告が発表される以前から未熟児に対し光凝固法を施行していた臨床医も多数いたことは、弁論の全趣旨から明らかであり、これを広島市及びその周辺について見ても、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、①植田医院を退院した直後の原告泰作を診察した広島市の眼科の開業医である戸田慎太郎医師は、原告泰作の本症による瘢痕期病変についての診断をし、光凝固法の適用の有無を広島大学医学部付属病院眼科に対して照会していること、②右照会を受けた同病院眼科の医師によって更に詳細な本症による瘢痕期病変についての診断がなされ、既に光凝固の適応はない旨の診断がなされていること、③広島県呉市において昭和四九年に眼科を開業した木村亘医師は、開業以来国立病院あるいは開業医の紹介により本症罹患の有無を調べるため未熟児の眼底検査を行い光凝固法も数多く行っていること、④このほか広島県立病院、広島市立病院においても本件診療時には既に本症の診断のための眼底検査及び光凝固法による治療がなされていたことが認められる。

しかし、<書証番号略>によれば、眼底検査に用いる医療機器の開発により、昭和四九年度研究班報告が発表されたころには眼底検査の実施は比較的容易になったもの、本症活動期の病変を的確に判断し、光凝固法を施行する技術を習得するためには、大学病院等の眼科で本症について研究を行っていた医療機関において研修を受け、多数の症例を経験することが必要であり、同報告が発表された当時においても、光凝固法の施行を前提に眼底検査を行うことができたのはそうした研修によって技術を習得した医師のみであったことが認められ、このことを前提に、同報告が発表されるに至るまでの経緯、本件診療時までに同報告の内容が、一般の産婦人科の雑誌に掲載されるなど一般の産婦人科の開業医に広く同報告の内容が認識されることが可能な形態で公表されたとは認められないこと、日本小児科学会理事会が同学会新生児委員会からの答申を発表することを差し控えていたことなどの前記事情に照らすと、右開業医及び医療機関はいずれも本症に関して特別の関心を持って研究及び診療を行っていた先駆的な医師あるいは医療機関であったと見るべき余地が十分あるといわざるを得ず、前記のとおり、広島市あるいは呉市において光凝固法及びこれを前提とする眼底検査を行っていた臨床医又は医療機関があったとしても、このことから直ちに、本件診療時には、広島市及びその周辺部においては未熟児に対する酸素療法を実施するに当たって定期的な眼底検査を行うことが一般の産婦人科の開業医の間でも当然のことと考えられるまでに至っていたということはできない。その他、本件診療時において、昭和四九年度研究班報告に示された光凝固法の実施を前提とする定期的な眼底検査の必要性が、一般の産婦人科の開業医にまで周知されていたことを認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、光凝固法の実施を前提とする定期的な眼底検査を行うことが、本件診療時において一般の産婦人科の開業医においても医療水準として確立していた、として被告らに眼底検査義務違反の過失があるとする原告らの主張は、理由がない。

五結論

以上によれば、被告らには、原告らが主張する過失のいずれも認めることはできず、原告らの請求はいずれも理由がないことは、その余につき判断するまでもなく明らかである。そこで、これらをすべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官小林久起 裁判長裁判官山下和明及び裁判官飯田恭示は転補のため署名押印できない。 裁判官小林久起)

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